100年フード「へぎそば」

HEGISOBA
100年フード

へぎそばが100年フードに認定されました

小千谷のへぎそばが文化庁の定める令和4年度「100年フード」に認定されました。

文化庁では我が国の多様な食文化の継承・振興への機運を醸成するため、

地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を100年続く食文化「100年フード」と名付け、

文化庁とともに継承していくことを目指す取り組みを推進していきます。

100年フードの認定を受けて

100年フードの認定を受けて

わたやは創業100年の歴史とともに、当社のアイデンティティとなる「へぎそば」の200年にわたる歴史を深く掘り下げ、小千谷の伝統食文化としての地位を確固たるものにしてまいります。

同時に「へぎそば」を日本に、さらには世界に誇れる食文化に育ててまいります。

代表取締役和田正樹

ABOUT HEGISOBA 「へぎそば」とは

「へぎそば」とは

一般的なおそばは、そば粉に水を加えて捏ね、薄く伸ばして細く切る、いわゆる「そば打ち」と呼ばれる製法で作られますが、そば粉の粘着力は弱いため、そば粉だけでは長い麺を作ることが難しく、短く切れてしまいます。そこで「つなぎ」と呼ばれる、長い麺にするための食材がそば粉に混ぜられます。

一般的には小麦粉が主流であり、そば粉に対して2割小麦粉を混ぜたものを二八そばと呼びます。

へぎそばはそのつなぎに海藻であるふのりを使います。それにより、普通のおそばとは全く違う「のどごし」と「コシ」が生まれます。つるつるとのどに吸い込まれていくようなのどごしと、コシが強くしなやかな食べ応えは、へぎそば独特のものです。

大きなせいろに一口ずつ盛りつけるのも特徴の一つです。その大きなせいろを「へぎ」と呼んでいたことから、へぎそばと呼ばれるようになりました。

主に天ぷらやきんぴらと合わせて食べられます。

「ふのり」とは

「ふのり」とは

海岸の岩に生息する海藻で、栄養素が豊富。主に青森産、北海道産などを使用。

煮ると緑色をした糊のようになり、それをそば粉に練りこんで打つため、淡い緑色のへぎそばの色となります。

へぎそばの食感は、ふのりの持つぬめりと粘着力で決まります。

小千谷では、昔から麻織物「小千谷縮」の糸の糊付けにふのりが使われており、それをおそばに使うようになりました。

「小千谷縮」とは

10世紀初頭の『延喜式』に記されている越後麻布は、小千谷でも古くから織られていたもので、千年以上の歴史があります。上杉謙信が越後麻布の原料である青苧の生産を奨励したことでも知られます。

この越後麻布を江戸初期に改良してできたのが小千谷縮で、その改良に尽力したのが堀次郎であると伝えられています。小千谷縮は、縮問屋の商人たちによって夏の高級織物として全国に名前が知れ渡りました。

明治以降は工業化が進み、古来の技術で作られる反物は減少しましたが、昭和40年代から保存協会が技術の継承に努め、平成21年には「小千谷縮・越後上布」がユネスコ無形文化遺産リストに登録されました。

長い年月を経て、小千谷縮は地域の暮らしや文化に根づいて、その片鱗がいたるところに見られます。

「小千谷縮」とは

小千谷縮を織る麻糸の糊付けをする様子。ふのりが糊とし使われている。

【写真提供】

上:小千谷織物同業協同組合

右:吉新織物有限会社

下:吉新織物有限会社

「小千谷縮」とは

HISTORY OF HEGISOBA へぎそばの歴史

へぎそばの歴史

小千谷は江戸時代、天領として栄え、稲作も盛んでお米がよくとれる土地柄でした。

また、織物のまちとして全国に知れわたり、大阪や江戸の商人が行き来して、様々な文化が流れ込む裕福な地域でした。

お祝いごとなどがあると、各家でおそばを打ち、客人に振る舞いました。小千谷のおそばは、稲作の合間に栽培して食す贅沢品で、お祝いごとのメインディッシュだったのです。

各家で、そば打ちの腕を競い合う風習もあり、人々が切磋琢磨し、創意工夫を重ねるなかで、織物に使われる「ふのり」をつなぎに用いたところ、とてものどごしの良いおそばが出来上がりました。それが「へぎそば」の始まりであると伝えられています。

へぎそばの歴史

江戸時代に小千谷の片貝村の庄屋をつとめた太刀川喜右衛門が著した『やせかまど』にはそば振る舞いについての記述があります。親類などを招いておそばや濁酒を楽しんでいた様子が記されています。

また、『北越雪譜』で知られる鈴木牧之と同時代に活躍した小千谷の文人、久保田東湖の掛け軸には、大皿に盛られたおそばと食卓を囲んで料理とお酒をいただきながら、三味線や唄、踊り、話に興じる人々が描かれています。