ここ小千谷市は、上杉謙信が奨励した麻織物「縮」の産地。
その縮の糸を紡ぐ際に、使われていた海藻「ふのり」が、
そばの"つなぎ"に使われるようになりました。
ふのりはコレステロールを身体から取り除いてくれる効用もあり、
おいしくて身体によい、ここ小千谷でしか食べられない名産品です。
わたやのへぎそばは、厳選されたそば粉とふのりを職人が手間を惜しまず打ち上げた逸品。
そば本来の味わいと、そのツルツル感は、他のそばでは味わえません。
腰が強く、しなやかで、喉ごしのよいそばです。
「へぎ」という器に盛られて、「へぎそば」という名が付きました。
「へぎ」とは、幅30センチ長さ50センチ程の大きなせいろの様な器で、
そばを一口程度に丸めたものをへぎに30個程もりつけ、3~4人でそれを囲んでたべます。
大勢で同じへぎからおいしいそばをたべれば、心もかよいあうというわけです。
また、ゆでたそばを手を振りながら、水から揚げ、へぎに盛りつける特有の動作から、
「手振りそば」とも呼び、そばの丸めひとつを「ひと手振り」といいます。
初代和田栄松が、製麺工場を持っていた町の有力者から製麺機を引継ぎ、そば屋を始めたのがわたやの始まりです。正確な時期はわかっていません。長老の記憶を頼りにたどり着いたのが大正10年です。それまで綿の打ち直しなどを生業にしており和田家の屋号が「綿屋」でした。その屋号をそのまま店名にしたわけです。
初代は49才、2代目栄一郎も太平洋戦争にて戦死。戦後の混乱の中、初代妻ホノと2代目妻ヨキの二人で店を守り続け、3代目圭三が学校卒業を待たれてようやく店に入りました。
三代目圭三は、地道な努力を続け、今の当店の基礎を作りました。戦後の復興と共に景気も良くなり同時に店の評判も上がっていきました。昭和45年には、天皇陛下御一家(当時は皇太子殿下)様に苗場スキー場にて当店のへぎそばをご賞味頂く栄誉にあずかり、これは49年まで続きました。
その後49年、株式会社となり、平成13年には4代目正樹が社長に就任し、現在に至っております。
4代目正樹は、父親に反発し一度は店を継がすに東京の会社に就職します。
しかし生来の気質からか会社勤めがなじまず、音楽の道を志しました。
しかしジャズシンガーを目指しながらアルバイトに明け暮れる毎日に限界を感じ、結婚を機に家業を継ぐ決心をします。
しばらくはそば修行と子育てに奮闘しておりましたが、2000年平沢店・2007年イオンモール新潟南店を開業し3店舗に増やしました。
伝統のへぎそばはもちろん、つけそばやそばスイーツの充実など、お客様に心底楽しんで頂ける店作りに取り組んでいます。
また乾麺の販売開始、みどりのラー油の開発など、そば屋の枠にはまらない挑戦を続けています。
平成25年10月 国際ご当地グルメグランプリinかしわざき 審査員特別賞受賞
平成25年11月 観光庁主催「世界にも通用する究極のお土産」 みどりのラー油1次審査通過商品選定